きょむちらかし

舞台オタクの嘆きを投稿します。時折解説、考察様々。

推しが、「推し」をやめた日。

どうも。こんにちはこんばんは。

今日も元気に虚無ちらかしています。

 

今回書くのは、ほんとに個人的な話になりますが。

 

「推しが、【推し】をやめた日。」

つまり、推しの役者が「推しキャラ」をやめた日の話。

 

キャス変など、割とあり得る話で

卒業という形式をとっている作品であればだれでもあり得る話ではあります。

 

今回は正確には、今回話すのは私が推しの演じる舞台の中で一番好きで、ハマってしまった作品を、「なかったことにされた」とある日の話である。

 

私の推しは、2.5役者さんである。

私はそう思っている。

 

本人はどう思っているかは知らないが。

 

彼は、とても歌がうまく、確かに2.5にしておくのはもったいないような人なのかもしれない。

それでも、彼はそれに出ていたし、その姿を応援していたいから彼が出る場所なら、どこでもいった。

 

彼の舞台に通った中で、一番好きだった舞台がある。

「A(仮名)」という作品で、彼は主演をしたし、とてもいい演技だった。

そのころの推しの舞台には珍しく、2.5作品ではなかったが、とてもとても、私はその作品が好きだった。

 

手紙をたくさん書いたし、感想と考察のツイートもした。

演出家からいいねがきたのはいい思い出。

 

そんな「A」という作品は彼の少ない主演作品だった。

 

それを、彼は捨てた。

 

プログラムにはこれまでの出演経歴を書く場所がある。

おそらくそれで、「あ、これに出てたんだ」と気が付く人も多いだろう。

役者にとっての名札のような部分で、自分の看板になる部分でもある。

 

彼はとある時から「A」を書かなくなった。

出演作品が増えたから、書く場所が少ないから。限りがあるから。

また、その舞台の協賛の関係から。

いろいろな理由があって抜粋されることは知っている。

それでも、彼の個人のイベント系には書かれていたし、

主演作品だから・・・という思いも私にはあった。

 

しかし、とうとう彼の書くフリーの欄からもとうとう消え去った。

 

彼にとってその作品は消すべき恥のようなものだったのか。

アンサンブル(モブ)出演した作品より、主演は書くべきものではないのか。

 

推しが将来どういう方向性に進みたいのかは知っている。

よく知ってる。なんせ語ってくれるから。

 

だからこそ、「主演」という看板は捨てないでいてほしかったし、

大好きな作品だからこそ、そのタイトルは常に書かれていてほしかった。

 

記入欄が死ぬほどあり、あまりもあるような欄からもはみ出された「推し」作品は

きっと彼にとっては忘れたいことだったのだろう。

 

私はそれでも彼をそっと応援はするし、きっと舞台もある程度は行くんだろう。

 

でもやっぱり思うのは。

推しは作品を愛していてほしかったし、誇りに思ってほしかったということ。

「A」という作品が、彼にとってはもう書く必要もないことだったとしても

それが好きで好きでたまらなかった私にとっては、少なからずショックだった。

 

ここでそれを吐き出すぐらいしかできないけれど。

 

ごめんね。

推しの思う、その未来に、きっと今回主演作品の看板を下ろしたことは、きっと遠回りになる一つになったと思う。

 

推しが描く、その未来が叶うことを祈ってはいるけれど、

到底かなわないその性格を直さないと。と思ってもいる。

 

ファンが、そういうことを言うのはおこがましいかもしれない。

身の程知らずだと思われるかもしれない。

 

ごめんね、直接は言わないけど、きっとみんな思ってるよ。

 

 

それはさておき、推しが、「推し」をやめた日。

きっとこれからもいつかあるだろう。

今出ている2.5作品から卒業してほかの人がそのキャラを演じた日

卒業発表がされた日とか。

 

きっと役者を推している限りいくつでも起こるだろう。

そのたびに自分は向き合って、そして乗り越えるかそのままそっと離れるか。

それはその時の気持ち次第だと思うけれど。

 

私は少し、そっと距離を置いてしまった。

そんな、とある日の日記でした。